人間として生きて行く中で、いろいろな出来事があり、みんな多かれ少なかれ、傷つき、傷つけ、日々葛藤し毎日を暮らしているのだと思う。
まあ大分、自分探しの旅をして随分わかってきたな、と思える今日この頃ですが、、、
まだまだ自分の中にある「傷」を見つけることがある。
まー、普通の精神状態じゃ耐えられないような試練の道続きで、大分試練もネタだと思えるようになってきてますが、私の心に突き刺さることがある。
それが我が家の長女との確執なのです。
父親を失ってからの彼女のジャーニーは生半可ではないのです。彼女のことについては、まだまだ書けない自分がいます。摂食障害、鬱、自殺未遂、パニック、バイポーラー、ハイの時の浪費、ローの時の絶食、自己卑下、その後はクリスチャンになり一件落着と思ったものの、今度は彼女の中に潜む悪霊とのバトル。
写真や外からは見えない我が家の一部です。
その時の彼女を見たら普通は「精神異常者」「二重人格者」とレッテルを貼られ精神病院行きだと思います。私はそれが解決でないことを知っているからその選択はしない。しかし経験者ならこの状態の家族と一緒に暮らすことの狂気じみた世界をわかってくれるのではないか、と薄い期待を抱いてしまいます。
しかしこうして彼女のことを書いていると気づくことがある。「私」の中でまだプロセスできていない何か、があるのだ。これは「彼女」の問題でありそうで、「私」の問題なのだと気づかされる。
自分の痛みはどこにあるのか?
自分の罪悪感はどこから来るのか?
自分の何がそうさせているのか?
昨日は久々の私自身のホメオパシーのコンサルのフォローがあり、マーティンと深く掘り下げていきました。私が彼女を妊娠した時から始まったジャーニーです。予期せぬ妊娠で、私には大きなストレスになっていたし、喜びの後ろ側にある不安と恐怖、そして家族からのリジェクション。その時の気持ちや想いなど、影の部分、は誰にも話してこなかった。私一人で内側に閉じ込めていた想いです。
思い出しもしない記憶でも、傷は残っているんですね。とても痛いのですが、これは一つ一つ開けて感じて手放していくしかない。私はまず自分を癒さなければ、彼女を癒すことはできないのだ。
自分の傷に蓋をして、相手を思いやることなんかできない。それがエゴというものだ。
なので、彼女が苦しむ今だからこそ、私は私を癒すことに集中しようと思う。